許せないことと守りたいものを失うことは自分が死ぬこと
生きているなかで、許してはいけないことがいくつかあって……。
例えば、人を殺してはいけないといか、人の自由を奪ってはいけないとか。
ときに時代の価値観に左右されたとしても、なにかしら許せないことは残る。
オカンの強い影響もあって、浮気もそのひとつ。
そして、守りたいこともいろいろとある。
家族や友人は守りたいし、自分の自由も守りたい。
そのうえで、シゴトがら = モノを伝えるマスコミのひとりとして、最低限のモラルや取材スタンスも自分なりに絶対に守りたいことがいくつかある。
それは、自分のなかで、許してはいけないことや守りたいことと同じで、それを裏切ったら、自分が自分でなくなる気がする。
その意識を持って、いつもシゴトをしてきたと思う。
いや、シゴトだけではなく、人生そのものといってもいいかもしれない。
自分が自分であるために。
そもそも、こんな不安定なシゴトをしていて、自分を見失うことは、死ぬことと同じだ。

キレイごとと許せない会社
そんな自分が、自分だからこそか、許せない会社もたまに出てくる。
そんな会社となんの疑問もなくつきあっているニンゲンも嫌いだ。
もちろん世の中いろいろとあるので、キレイごとばかりじゃない。
「世の中、キレイごとだけではうまくいかないよ、ガマンしろ」
よく映画やドラマで聞くセリフである。
実社会で言われた方もいるであろう。
そこで、いつも疑問に思う。
「キレイごと(綺麗事)」とはなんなんのか。
なぜキレイなことが分かっているのに、キレイなことを目指さないのか?
3月末頃の辞任について、ちょっと書いたけど、実は冷静に判断して、自分で正しい道を選んだつもり。
第三者的にはキレた印象しか残っていないと思うけど、
その会社がやったことは、自分の価値観のなかでは、ウソをつくとか、信念を捨てるとか、それらと同じ行為なので、シゴトも辞めたわけです。
ドカンと収入も減ったけど、自分が死ぬよりはマシである。

そして、昨夜、その会社の社長と交流会で同席して(もちろん挨拶なんてしていない)、当時のことを思い出して、本当にアタマに来てしまった。
確かベートーヴェンのコトバだったと思うけど。
「怒るべきときに怒らない人間は真のバカである。
自分は怒れる人間になりたい」
時がたっても、殺人が許されないように。
許してはいけないことはやはりあると思う。


コメント